宗教法人 高野山真言宗 阿高山 真言寺
2010年3月10日(水) 20:34 JST
古代の祈りと文化の香り
真言寺は豊かな心の対話と日々の行いを大切にしています
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だいぶ暖かい日が続き、真言寺の梅の花も咲き始めています。
2010年2月26日に両界曼荼羅が本堂へ帰ってきました。
『大日経』に説かれる胎蔵曼荼羅には、広くものをみて互いを認め合う慈悲の心、
『金剛頂経』に説かれる金剛界曼荼羅には、人生を深める智慧の光があらわされています。
触ることはできませんが、近くでご覧になれるようになりました。
この曼荼羅は真言寺の歴史を物語る上でも大切なものです。
本堂にお参りされた際は、ゆっくりとご覧下さい。
四季は廻り春となる。梅の花は今年も時を忘れない。無尽の縁起は絶えることがない。物事の因と果のあるところ、運命の理はここにある。存在の総てに心をめぐらせ、よく観ぜよ。真実は常に明らかに姿を顕している。眼を見開け、真実が隠されることはない。心を揺らしてはならない、賛美にも、批難にも、平等であれ。存在は常に多様な姿を顕す。人生に臆してはならない、さほどのことはない。生と死の狭間の束の間の時間が人生である。心を一にして悟りを求めよ。もろく崩れ去る己の身と常に崩れ去る現象に心を奪われてはならない。智慧を求めよ崩れることのない、仏の楼閣、智慧の飾りを求めよ。智慧の道は滅びることがない。悟りの安心は消え去ることがない。己の命の在りかは、仏の命である。己を求めよ、己を見つめよ、そこに世界が秘密を明かす。求めずともある命の華、それが貴方の命、永遠の涅槃それが人の本質、それを信じて生きよ。迷うことも、嘆くこともない。貴方はすでに満たされている。
凍てつく日には暖を、暗き夜には光を、疲れた旅人には宿を、心寂しき人には友を、病ある人には薬を、道に迷える人には歩く術を、人生に悩む人には仏の慈悲を、救いあらん事を。夜空の星は漆黒の虚空に光リ、春の若芽は雪の中に命を育む。明けぬ夜はなく、苦悩も又時と共に去り逝く。手を合わせてみよ、虚空に、生あるすべてのものに、貴方の隣人に、そして語り掛けよう、私はあなたと共に生きている、貴方に生かされている、有難うと。心の鎖を解くには温かい言葉が必要である。手鎖を解くには許しの心が必要である。その怒りは心を縛り、争いを産み、憎しみの温床となる。怒りを鎮めよ、いま必要な事それは許しと与えあう事、略奪からは不信と怨念しか生まれてこない。幸福の最大の処方箋は信頼である。信頼、信じるに足りる人これこそこの世の宝である。仏陀がそのようであるように、貴方もそうあれ。航海の時の北斗星のように、船をつなぎとめる錨のように常に信じるに足りる人であれ、そこに幸せは訪れる。
生きる事に疲れて虚空を仰ぎ、流れくる川の水面に己を映し、深い溜め息を吐き己に帰る。人生の苦難はかくのごとくあり。失望は常の如く、望みに破れ、又望みを紡ぐ、哀れなるかな人の性は心休まる時を持たず、唯回る風車の如く人生の風に煽られる。長き人の群れ生まれ生きて死する人の群れこれを人生の道と言う。老病死あり逃れざる人生の真理、光陰矢のごとし,ひと時も時は待たず今朝の花は夕に散り行く。人も又逃れざる。瞑目せよ心を廻らせよ。この真理、無常である事。しばらくの間心を休ませよ、遠くにさ迷う心を己に戻せ、そして見つめよこの真理を形あるものは皆滅び行く、例外を持たずに。静に瞑目せよ無常なのだと観ぜよ、心の縛りが解けて自由になる。心を開放せよ心にも実体は無い。五蘊は空性なのである。諸法は無我なのである。一瞬の閃光のごとき人の一生、人の命、貴方もそれである。虚空は法華である、貴方は一瞬この法華によって現れた姿なのである。その命を尊く生きねばならない、限りある人生を仏の命を受けたものとして。そこに仏陀と会いまみえる縁が生まれる。
生きる事が辛くなる時、人生の思わぬ事態に遭遇する時。願えど叶わず、叫べど届かず。唯、時間のみが虚しく過ぎ行く。心に重き荷を背負い生きる事に苦悩する。光ある太陽の恵みも人生の終焉には光を失い、恵み多き大地もその確かさが失われる。死の影に人生は突き動かされ。不確かさの故に焦りと苦悩は深まる。世界が閉じて行く苛立ちと不安に心はかき乱され、己を失う。静に瞑目せよ洞察せよ、無常の真理を、変化する物事の真実に目を閉じるな、貴方も無常の只中に居る。森羅万象は鏡の中の事物の如くその実体を持たない。己は無我である。この無常にして無我なる己を自覚せよ、そこに苦悩より逃れる術がある。仏陀は金剛座に座して、実は藁を集めたものであるが、そこで無常と無我の三昧に住した。執着多い人生にこれを厭い、暴れ馬の如く荒れ狂う心を制し、猿の如く止め処なく沸き起こる欲望の生起を止め、荒れ狂う波を鎮め静に帆を進める舟の如く人生を生きる。頼りない己が頼りある者となる時。