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 2008年7月 9日(水) 12:21 JST

真言寺のホームページ

真言寺とは

古代の祈りと文化の香り

真言寺は豊かな心の対話と日々の行いを大切にしています


真言寺は、熊本県のほぼ中央、阿蘇の噴煙を東に見、有明海を西に控える阿高山のふところ、多くの古代遺跡に囲まれて建っております。

真言寺の回りは塚原古墳群、阿高貝塚等国指定の史跡があり、町全体が考古学の宝庫です。真言寺の所在地は塚原古墳史跡公園の隣接地でもあり、古代の祈りと文化の香りがある風土であります。

真言寺住職は青年のころ人生の無常に気づき、仏門に入ることを決意しました。
まず禅を学び、次いで中国哲学・インド哲学を学びましたが、これらの思想や実践の方法には、時代認識に欠けているという結論に至り、現代の心理学や社会学を研鑽しました。

その後、あらゆる思想や哲学を内に含み、具体的な瑜伽の方法を持つ真言密教こそが時代認識において最も優れているという確信を持つに至り、密教をベースに、それまで学んだすべてを統合することになったのです。

「密教は存在の構造にかかわるものであり、生きた大生命として有ることそのものであると思います。ですから、東西のあらゆる思想はその構造から生まれたものであり、一つとして捨てるべきものはない」

そうした確信を得た住職は、密教を真に現代に役立たせる場として、昭和59年に宗教法人 阿高山真言寺(本尊:不動明王)を建立いたしました。

真言寺には、巡礼道や御滝場道場があります。 お参りされたかたは金剛杖をつきながら真言寺大師堂から聖天院・観音堂へと巡礼されます。また滝場では行者の皆さんが入行しています。

真言寺の本堂に坐していると、様々な人たちが相談に訪れます。
もつれた家族関係で悩む人、ガン末期の家族を抱えた人、子供の登校拒否など、現代社会のありとあらゆる問題が持ち込まれます。
真言寺では、その人一人一人にアドバイスし、具体的な生き方や問題解決の方法を示しています。

実際の活動内容については、日々回向の護摩供養、講演、写経・写仏の指導、人間学講座としています。

(「曼荼羅ルネサンス」 朝日新聞社編より一部抜粋)

 

 

蓮華通信七月号

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緑のあくまで深く、天水の雨音は大地に響き、雲の足は時を待たず。知ると知らざると人の命は仏の命、唯有ることのみ、唯生きている。人は不安の旅人である。己が命の何物かを知らず、運命の波間に浮かぶ小船のようである。不安の故に焦り、恨み、悔やみ、涙する。生きる事に疲れ、望むことに疲れ、失望の空を見上げてため息をつく、心の中で呟く、私のことなど誰も分かろうとしない。時間の狭間で呼吸して、虚しく言葉を選び生きている。何者も信じがたく、又人知れず生きる事も許されず、虚しく微笑みをたたえて日々を過ごす。時と共に老いは迫り、病を起こし、迫りくる死を待つ。孤独と不安を紛らわせようと目に麗しいものを求め、耳に優しい声を求める。愛し寄り添う人を求め切なく生きる。生きる事の重い荷物を誰もが背負い苦悩する。かの仏陀その人も苦悩の末に道をみいだした。苦と苦の生起と安楽とその実践、そこから仏法は始まる。心さびしき人、苦悩多き人、仏陀の慈悲を望め、仏に帰依せよ。転法の功徳を信ぜよ、法に帰依せよ。清浄なる僧伽に帰依せよ。閉じた世界は涅槃への道を開く。

7月予定

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5日(土)人間学講座(熊本)
6日(日)人間学講座(熊本)
11日(金)人間学講座(東京)
12日(土)東京例会 13時半~
13日(日)東京例会 13時半~盆供養
16日(水)人間学講座(熊本)
19日(土)人間学講座(福岡)14時~
21日(月)御影供(お大師さん)10時半~ 護摩供養
26日(土)写仏 10時半~ 礼拝行 13時半~(観音堂内)
27日(日)熊本例会(観音堂) 10時半~護摩供養 13時半~法句経
28日(月)お不動さん 10時半~護摩供養

生命の祈りについて

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少し前のことになりますが、2007年12月東京行飛行機の中の機内誌に「400年前の手紙」という文章が載っていました。オスマントルコの建築家の話でした。

 

その話は、だいたい次のようなものでした。

 

1990年代にトルコのイスタンブールでモスクの修復プロジェクトが持ち上がった。難しい修復で何とか木枠を組んでアーチを支えているキーストーンを除去とした時、そこにガラス管に入れられたオスマン語の手紙があった。その手紙には、{この建築物の石は、400年が寿命である。400年後、石のアーチ部分は傷んでもろくなり、あなた方はそこを造り直そうとするだろう。その時、おそらく建築の技術は我々の時代より大きく進化しており、それゆえにあなた方は、石のアーチを造りなおす経験をもっていないだろう。だから、私はこの手紙を書いている。・・・・・・あなた方は石のアーチ部分の重要なキーストーンの下に木の枠組みを設置し、その後キーストーンを除去しようとするだろう。そのプロセスに取り掛かることは、大変重要な意味をもっているキーストーンについて学び始めることを意味している。・・・・・・同封の資料で、あなた方はこの石の建築の総てを学ぶことができるだろう。}というものだった。

 

この話を読んで、この建築家ミマール・シナンの洞察力に深く敬意を表すると同時に、彼の生きた同じ時代に深く思いを馳せたのでした。

 

そのころイタリアではドーム型のキリスト教教会を設計したミケランジェロやブルネレスキが活躍しており、ルネッサンスへの転換期でした。

 

そのとき私は、シナンもミケランジェロもブルネレスキも、その感性と祈りをドームやアーチに表現していたのだと感動したのでした。この時代の造形や芸術は「生命への賛歌-生命の祈り」だと思っています。

 

この時代の芸術や建築は人類の同じ祈りを表現していると感じるのです。400年経った今でも、まだ「失われた同じもの」を別の表現にしようと努力し続けている現代があると私は考えています。

 

地球の同じ空気を呼吸して生きている人々の祈りは、同じものに行き当たってしまったのだと捉えているのです。キリスト教もイスラム教も仏教も同じだと思っています。何故なら世界宗教は皆同じ「無形の 絶対なるもの」を祈っているからです。人類が祈っているのは、「皆同じ力の無形のもの」であると 私は感じています。宗教に二つの分け方があります。創造主を認め、唯一絶対の神の愛を説くものと、創造主を認めないもの、この二つです。しかし深い祈りに入っていくと、この区別は、時代と場所と民族の歴史の差であろうと感じられるのです。そして地球という有機的な生命体は、いまだに失ったものを取り戻すために努力し続けていると感じているのです。

 

失った祈りでもあり、時代の新しい感性でもある、「それ」を表現するために、近代は造形・芸術という手段を人々はとってきています。それは人間の感性に直接働きかけるからだと思います。

 

そこで私は上野の西洋美術館で三月八日から開かれていた「ウルビーノのヴィーナス」展について、感じたことを書かせて頂くことにしました。「ウルビーノのヴィーナス-古代からルネサンス、美の女神の系譜」というテーマでした。現代に女神の展覧会とは、なかなか「やるな」と思いながら、期待を持って入場したのでした。しかし期待したものとは全く別のものを学んで、展覧会を後にしました。確かにティツィアーノのこの作品は、世界の女性の美の原型になっていたのだと本当に確信してしまったのです。

 

展示されたものは どれも大変すばらしかったのです。だから尚更はっきりとルネサンスに動いた「命の祈り」は、みごとに「グラビア・アイドル」となっていたことをこの展覧会から学びました。しかし勿論アントロポモルフィクな調和を否定している訳ではありませんし、マニエリスムであると主張している訳でもありません。

 

現代女性の「美の原型」は、「生命の祈り」をギリシアの女神像に仮託したけれども、いつの間にか、ヴィーナスとして表現された「裸婦」だけが、現代の美の基準であるとの評価を受け、男性から賛美され、一人歩きしてしまったことを教えていました。

 

ジョバンニ・ダ・サン・ジョバンニの作品の一点が、庶民の母の姿をしたヴィーナスが息子キューピットの髪に櫛をあてていました。母の側面が 描かれていたのは、この作品だけだったと思います。しかし母になる力そのものの表現は、どこにも無かったのです。ロダンの「裸婦」の表現のほうが、まだ現実の女性の「産む願望」とその力を現していると、考えます。しかし直接的である「性」が主張されるため「聖なるもの」の表現が表されにくいと感じています。この混迷した女性像の中で、現代女性は苦しんでいます。

 

本当の自分とはどんな姿なのか、美しいとは何なのか、女性自身がわからなくなっているのです。どのように生きるべきか、そしてどのように「美しく」あるべきかが判らなくなっています。女性は肉体が産む力のためだけにこの空間に存在している現実を認知してはいません。総ての感性がそこから発していることも気づきません。男性の感性に合わせることによって、生き抜かなければならないからです。

 

確かに産むための相手、そのための自由はヴィーナス像に仮託することで、現代与えられました。「パリスの審判のりんご」の話に象徴される寓話通りだと思います。

 

しかし、産むことが総てである「女性」という肉体存在にとって、男性に裏切られることは、命を傷つけられるに等しく、また「自分の人生は一体何だったのか」と自己否定して泣く女性の何と多いことでしょうか。そして自分自身で自分を痛めてしまうのです。子を産んだ、産まなかったではありません。女性の感性の総てが産むという肉体として出来ているということを確認して生きてこなかったのです。

 

女性には女性の祈りがあるのです。女性を受け入れた社会的空間と生き様があるのです。それが具現化されていないだけです。女性は人間として平等であり、能力も男性とはあまり変わりません。しかし 決定的に唯一つの違いがあります。産む力そのものを肉体としていることなのです。これは 唯一つの差であり、簡単でありますが、実は全てが男性と違うということを意味しています。女性には女性の感性と祈りがあります。総てを許す能力が女性にはあります。「裁き」とは違う「総ての許し」です。

 

失われた祈りはその中から生まれてきます。密教の大悲胎蔵生曼荼羅に(胎蔵界曼荼羅)にその力が、描かれています。エロスではありません。泥沼から咲くはすの花のように、象徴的な存在分析とともに描かれているのです。

 

「大日経疏」第三巻の喩えにもありますし、勿論大日経を無視してお話している訳ではありません。

蓮華通信六月号

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花の如く、雨の如く、光のさやけきが如く、漆黒の夜の暗きが如く、人生はかくある。無常の常たること、無我の我たること実に真理である。この身の儚こと泡沫の泡に同じく舟にて去り逝く、影の何物も留めず夢の夢たるが如し。眼を見開いてこの真実を観よ。何物にも執われてはならない。今この一瞬の中に善を求めよ。この一呼吸の内に真理を感ぜよ。多く求めなくとも君は人生の主人公である。その心を清く使え、言葉に真実を込めよ、行いを整えよ。そこに仏陀の教えはある。行いと業いの挟間に人生はある。因果の内に人生は展開する。よく自心を知れ。行い清きことを誇りとせよ、その中に仏の光は宿る。幾多の阿羅漢が菩薩が伝え来た大いなる道、君はそのただ中に居る。いかなる者も真実の価値ははかり知らぬ。唯仏陀の眼にのみ映る。君の存在、世界の存在の清らかさに目覚めよ。慈悲の心を持て世界はそれに答える。争い多き世に争いを鎮め、悲嘆多き人生に希望を与える。そのような人格であれ。

6月予定

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1日(日)人間学講座(熊本)
7日(土)人間学講座(熊本)
13日(金)人間学講座(東京)
14日(土)東京例会 13時半~
15日(日)東京例会 13時半~ 
21日(土)御影供(お大師さん)10時半~
23日(月)人間学講座(福岡)
25日(水)人間学講座(熊本)
27日(金)お不動さん   10時半~12時護摩供養 13時半~写仏 
28日(土)お不動さん   10時半~12時護摩供養 13時半~礼拝行・座禅
29日(日)例会護摩供養 10時半~12時護摩供養 13時半~法句経




蓮華通信五月号

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暁は紫雲より起りて黄金の光を放ち白銀の姿を見せる。春光は花を誘い小鳥のさえずりを呼ぶ。若竹は天に伸び時を告げる。命は巡り年を重ねる。人生は泡沫の夢の如く過ぎゆく、嗚呼誰かこの時を止めうるか。齢百歳天寿は終わる。一椀の飯と一椀の汁にて命を繋ぎ壱畳の畳に枕する。身の丈五尺五寸余に不思議なし。鼻に風のあるうちは生きている、生きて行かねばならぬ。心はあるかと問われれば、姿の定まらぬものなれど確かにこれにて生きている。なんとか言えと人が言う、声を出さずにすまされぬ。喜びも悲しみもやって来いとは言わないが、人知れずやってくる。人生の妙はここにあり。ままならぬ人の世で煩悩を捨てて生きて行く、執着を離れて生きて行く。無常の船で航海す、無我の帆を立てて彼岸に渡る。心清浄を生きて行く、尽きせぬ願を生きて行く、菩提心の輝きを生きて行く、身と心に障りなし人生に障りなし本来仏の命なりこれを信じて日を過す。口癖のように語り継ぐ貴方の命は仏である。

5月予定

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  3日(土)人間学講座(熊本) 
  4日(日)人間学講座(熊本)
  9日(金)人間学講座(東京)
10日(土)東京例会 13時半~
11日(日)東京例会 13時半~ 
12日(月)人間学講座(埼玉)
13日(火)人間学講座(京都)
15日(木)人間学講座(山口)
17日(土)人間学講座(熊本)
21日(水)御影供(お大師さん)10時半~ 護摩供養
24日(土)写仏 10時半~ 礼拝行 13時半~(観音堂)
25日(日)例会 10時半~護摩供養(観音堂) 13時半~法句経(観音堂)
26日(月)人間学講座(福岡)
27日(火)お不動さん 10時半~護摩供養
28日(水)お不動さん 10時半~護摩供養

観音堂の駐車場ご案内

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観音堂南側の高台にある駐車場(ひのきみ観音駐車場の看板があります)と観音堂の間にある空き地を駐車場としてご利用いただけるようになりました。お参りの際にご利用ください。

蓮華通信四月号

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命の華は麗しき、命の華は香しき、知らずと咲く花のさやけさよ。君が命の尊さは君も知らず、人も知らず。大いなる仏の御霊そのままに光り輝く命なる。垢も付かず汚れもせずただ真実を現わせる。如来の蔵より現われた君の命の働きは仏の智慧の滴なる。声のありかを求めれば唯不生の声がする。身業のありかを求めれば仏の威儀に帰するなり。心のありかを求めれば真空妙有の姿あり。仏の誓いと同じて生きて、仏の願いを成ずると誓い新たに生きていく、発菩提心となずくなり。いかなる闇も光りにて、深き迷いも明知にて共に消えてゆくがごとく。慈悲の明かりの射す処苦悩は、朝日に照らされし露のごとく瞬時に消えてしまうなり。

我は深く仏の慈悲を信じ仏の法を奉じて、一切の生きとし生けるものの安楽を祈り、日々慎ましく生きて、あらゆる物事に感謝の心を忘れず。己の身を律し、心を守って生きていく。願わくば如来の法座に侍り正法に遇わんことを。又人々の中に平安と喜びの充ち溢れんことを。

4月予定

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  5日(土)人間学講座(熊本) 
  6日(日)人間学講座(熊本) 
11日(金)人間学講座(東京)
12日(土)東京例会 13時半~
13日(日)東京例会 13時半~ 
14日(月)人間学講座(埼玉)
15日(火)人間学講座(京都)
16日(水)人間学講座(山口)
19日(土)人間学講座(熊本)
21日(月)御影供(お大師さん)10時半~ 護摩供養
26日(土)写仏 10時半~ 礼拝行 13時半~(観音堂内)
27日(日)熊本例会(観音堂) 10時半~護摩供養 13時半~法句経
28日(月)お不動さん 10時半~護摩供養  人間学講座(福岡)