真言寺 http://www.shingonji.net 宗教法人 高野山真言宗 阿高山 真言寺 noreply@shingonji.net noreply@shingonji.net Copyright 2008 真言寺 GeekLog Sat, 16 Aug 2008 21:26:22 +0900 ja 本堂裏の駐車場について http://www.shingonji.net/article.php/20080814121801130 http://www.shingonji.net/article.php/20080814121801130 Thu, 14 Aug 2008 12:18:00 +0900 お知らせ <p>真言寺本堂 「裏」 の駐車場について</p> <p>真言寺本堂 「裏」に 車2-3台収容できる駐車場がありましたが、何分道が</p><p>狭くしかも 行き止まりです。</p><p>利用されるには危険ですので閉鎖いたしたいと思います。</p><p>真言寺 「表」 の駐車場に 止められない場合は 真言寺第一駐車場を </p><p>ご使用下さい。</p><p>満車の場合は 聖天院の第二駐車場に 広いスペースを </p><p>確保できましたので、そちらの方に駐車お願いいたします。</p> 8月予定 http://www.shingonji.net/article.php/20080729082122713 http://www.shingonji.net/article.php/20080729082122713 Tue, 29 Jul 2008 08:21:22 +0900 カレンダー &nbsp;<span lang="EN-US">2日(土)人間学講座(熊本)&nbsp;<br />&nbsp;3日(日)人間学講座(熊本)&nbsp;<br />&nbsp;8日(金)人間学講座(東京)<br />&nbsp;9日(土)東京例会 13時半~<br />10日(日)東京例会 13時半~&nbsp;<br />13日(水)人間学講座(熊本)<br />16日(土)人間学講座(福岡)&nbsp;<br />21日(木)10時半~大師 13時半~盆供<br />23日(土)10時半~写仏 13時半~礼拝<br />24日(日)熊本例会 10時半~護摩供養 13時半~法句経<br />27日(水)お不動さん 10時半~護摩供養&nbsp;<br />28日(木)お不動さん 10時半~護摩供養</span> 蓮華通信八月号 http://www.shingonji.net/article.php/20080729081853456 http://www.shingonji.net/article.php/20080729081853456 Tue, 29 Jul 2008 08:18:53 +0900 蓮華通信 <p class="MsoNormal"><span>湧き出る泉の如く、天かける雲の如く、清らかなる蓮華の如く、命は振舞う。光織りなす天空の彼方も己が掌の中もすべて仏の命、清浄なる蓮華。迷い深き衆生の命も如来蔵に他ならない。娑婆世界の苦悩に心を奪われ、おのが欲望の色に染まり、真実の光を恐れ、逃れがたき道を選ぶ。そこに立ち止れ深く呼吸せよ、身じろいではならない。廻る輪廻の鎖を断ち切るのだ。己の真実と世界の真実に目覚めよ、かつて仏陀がなしたように、己の仏性を観よ。それは麗しくあらゆる汚れを離れ苦悩の本である煩悩を離れている。観音の微笑のある処、弥陀の慈悲のある処、釈迦の遊行。すべての善き事。深く三昧を修めよ、そこに総ての存在の本来清らかなる姿を観るだろう。汚れなき己を観る時に深き苦悩は癒される。疑いと迷いを離れ深き信と智慧を得よ、悟りの道は今もそこに開いている。心ある者、道を踏み行う者に涅槃は訪れる。</span></p> 蝉がないています http://www.shingonji.net/article.php/20080719121430424 http://www.shingonji.net/article.php/20080719121430424 Sat, 19 Jul 2008 12:14:00 +0900 光忍の一言 <p><font>生命の祈り(2)</font></p><p class="MsoNormal"><span></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>随分暑くなってきました。いかがおすごしでしょうか。</span></p><p class="MsoNormal"><span>真言寺の庭では せみが「 今、一夏の 命だ ミンミンミンミンミン・・・」と鳴いています。蝉の声に答えて、また様々なご質問を寄せてこられた方のためにも、もう少し書くことにいたしました。</span></p> <p class="MsoNormal"><span></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>人が聖なるものに触れようとするときには、色々な動機があると思います。生きていることが矛盾に満ちて、あまりにも苦しいため「苦しみを何とか無くしたい」と祈ることもあるでしょう。欲しいものが手に入るようにするための「願い」であるかもしれません。「年老いた底知れぬ不安」であったり、「愛する者の死」であったり、「病気」であったりするかもしれません。これは総て仏教で「四苦八苦」と 言われるものです。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>人間として 逃れられない 存在の 根源である「苦」が あります。「存在の矛盾」である「苦」を お釈迦さまは 解決されました。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>そうです 菩提樹の下で 瞑想に 入られたのです。それは 深い存在の 分析とともにありました。 </span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>「十二因縁」と言われる 「縁起の法」 です。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>しかし時を経て 時代を刻み 大乗仏教がおこり、般若、空そして「唯識」といわれる精緻な存在論を形成し、最後に如来蔵から密教へと教えは変遷していきます。</span></p><p class="MsoNormal"><span>(「存在論」という言語を私はつかいますが、勿論認識論ともいえますし、宗教的真理といわれる場合も考えられます。</span>)<span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>密教では、お悟りの 内容を 総て象徴で表現して伝えました。それは荘厳され象徴化された存在の分析「曼荼羅」とともにあります。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>ですから曼荼羅の精神を伝え、祈ることで 次にまた 誰かが気づき 問題を解決するのだと思います。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>近代の新しい科学という方法論の動きの中で、フロイトは人間の根源に横たわる存在分析を、全く手がつけられていない女性の問題をも含めて見事に学問の土壌にのせました。その後、女性問題については、紆余曲折を経て 現在に至っています。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>フロイトから、フロイトの読み直しをしたラカンの理論では、女性性の生来的本質的存在を認めません。男女とも幼児は一つの性、男性性(マスキュリニテイ)から出発し、</span><span>エディプス・コンプレクス、去勢恐怖の精神ドラマを経てジェンダーを獲得するとします。</span></p><p class="MsoNormal"><span></span></p><p class="MsoNormal"><span>特にラカンは言語獲得のプロセスにおいて注目すべき理論を展開しています。「父の法」の支配する象徴界(言語、文化、社会)は、特権的なシニフィアン(記号表現)であるファロス(男根)を基軸として形成される。それまで一つであった性はこのとき、主体のファロスとの関係における位置によって差異化される。つまり性の差異化の上に象徴世界は成立していると考えます。</span></p><p class="MsoNormal"><span></span></p><p class="MsoNormal"><span>この言語獲得後の成長とそれに対する分析は的確だと私は考えています。女性の自我意識はいつも男性に合わせることによって困難な自己を発達確定させます。ですから</span><span>シニフィエ(記号内容)が変われば、変化すると考えます。</span></p><p class="MsoNormal"><span></span></p><p class="MsoNormal"><span>しかし人間のつきつめた精神の根源は性行為の差に発していると私は考えています。男性は母体回帰を存在の出発点であり帰結点としています。なおかつそのために 生命への深い懺悔が男性には存在します。女性から生まれ女性を傷つけると感じる男性の生命があります。それが聖なるものの出発点です。しかし女性にはその感性は、あたかもある如くみえてありません。 </span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>女性は自己を傷つけられたという意識があり、しかもその痛みの中から生みだすという意識が存在の始めです。死と直結しなおかつ対極にあります。懺悔という出発があるようで、無いのです。ですから明らかにアルファが違います。男性からすれば、女性ほど扱いにくいものは無いでしょう。長い間社会からも、宗教からも無視され続けてきています。</span><span>しかし 今の世界には必要な感性 「それ」がそこに存在していると考えています。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>ですから現実に 人生の苦から逃れようと、「今」修行をして 瞑想の 追体験を「今」しようとすると 社会的にも、精神的にも女性には大変な問題が 起こってくるのです。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>女性はそこを認識し再度自分の生き方を自然にあわせて感じていく必要があります。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;一人一人が感じ 祈るのです。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;女性は無心に 自己の身体を出発点として祈ってみましょう。そう、静にです。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;「静かに」というのは 制止ではありません。困難ではあるけれど認識し修行をして欲しいということです。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US">無理に苦行をして欲しいと 言ってはいません。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US">身体のバランスをとり、理解して静に座り瞑想してください。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US">真言を念誦し(唱えること)</span><span lang="EN-US">、歩き そして </span>また 静に 瞑想してください。</p><p class="MsoNormal">ともに 祈りましょう。 </p> 蓮華通信七月号 http://www.shingonji.net/article.php/20080701001823678 http://www.shingonji.net/article.php/20080701001823678 Tue, 01 Jul 2008 00:18:23 +0900 蓮華通信 <p class="MsoNormal"><span>緑のあくまで深く、天水の雨音は大地に響き、雲の足は時を待たず。知ると知らざると人の命は仏の命、唯有ることのみ、唯生きている。人は不安の旅人である。己が命の何物かを知らず、運命の波間に浮かぶ小船のようである。不安の故に焦り、恨み、悔やみ、涙する。生きる事に疲れ、望むことに疲れ、失望の空を見上げてため息をつく、心の中で呟く、私のことなど誰も分かろうとしない。時間の狭間で呼吸して、虚しく言葉を選び生きている。何者も信じがたく、又人知れず生きる事も許されず、虚しく微笑みをたたえて日々を過ごす。時と共に老いは迫り、病を起こし、迫りくる死を待つ。孤独と不安を紛らわせようと目に麗しいものを求め、耳に優しい声を求める。愛し寄り添う人を求め切なく生きる。生きる事の重い荷物を誰もが背負い苦悩する。かの仏陀その人も苦悩の末に道をみいだした。苦と苦の生起と安楽とその実践、そこから仏法は始まる。心さびしき人、苦悩多き人、仏陀の慈悲を望め、仏に帰依せよ。転法の功徳を信ぜよ、法に帰依せよ。清浄なる僧伽に帰依せよ。閉じた世界は涅槃への道を開く。</span></p> 7月予定 http://www.shingonji.net/article.php/20080628205436489 http://www.shingonji.net/article.php/20080628205436489 Sat, 28 Jun 2008 20:54:00 +0900 カレンダー <p><font>5日(土)人間学講座(熊本) <br />6日(日)人間学講座(熊本) <br />11日(金)人間学講座(東京) <br />12日(土)東京例会 13時半~ <br />13日(日)東京例会 13時半~盆供養 <br />16日(水)人間学講座(熊本) <br />19日(土)人間学講座(福岡)14時~ <br />21日(月)御影供(お大師さん)10時半~ 護摩供養 <br />26日(土)写仏 10時半~ 礼拝行 13時半~(観音堂内) <br />27日(日)熊本例会(観音堂) 10時半~護摩供養 13時半~法句経 <br />28日(月)お不動さん 10時半~護摩供養 <br /></font></p> 生命の祈りについて http://www.shingonji.net/article.php/20080612232116615 http://www.shingonji.net/article.php/20080612232116615 Thu, 12 Jun 2008 23:21:16 +0900 光忍の一言 <p class="MsoNormal"><strong><span></span></strong>&nbsp;</p><p class="MsoNormal"><span>少し前のことになりますが、2007年12月東京行飛行機の中の機内誌に「400年前の手紙」という文章が載っていました。オスマントルコの建築家の話でした。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>その話は、だいたい次のようなものでした。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>1990年代にトルコのイスタンブールでモスクの修復プロジェクトが持ち上がった。難しい修復で何とか木枠を組んでアーチを支えているキーストーンを除去とした時、そこにガラス管に入れられたオスマン語の手紙があった。その手紙には、{この建築物の石は、400年が寿命である。400年後、石のアーチ部分は傷んでもろくなり、あなた方はそこを造り直そうとするだろう。その時、おそらく建築の技術は我々の時代より大きく進化しており、それゆえにあなた方は、石のアーチを造りなおす経験をもっていないだろう。だから、私はこの手紙を書いている。・・・・・・あなた方は石のアーチ部分の重要なキーストーンの下に木の枠組みを設置し、その後キーストーンを除去しようとするだろう。そのプロセスに取り掛かることは、大変重要な意味をもっているキーストーンについて学び始めることを意味している。・・・・・・同封の資料で、あなた方はこの石の建築の総てを学ぶことができるだろう。}というものだった。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>この話を読んで、この建築家ミマール・シナンの洞察力に深く敬意を表すると同時に、彼の生きた同じ時代に深く思いを馳せたのでした。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>そのころイタリアではドーム型のキリスト教教会を設計したミケランジェロやブルネレスキが活躍しており、ルネッサンスへの転換期でした。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>そのとき私は、シナンもミケランジェロもブルネレスキも、その感性と祈りをドームやアーチに表現していたのだと感動したのでした。この時代の造形や芸術は「生命への賛歌-生命の祈り」だと思っています。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>この時代の芸術や建築は人類の同じ祈りを表現していると感じるのです。400年経った今でも、まだ「失われた同じもの」を別の表現にしようと努力し続けている現代があると私は考えています。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>地球の同じ空気を呼吸して生きている人々の祈りは、同じものに行き当たってしまったのだと捉えているのです。キリスト教もイスラム教も仏教も同じだと思っています。何故なら世界宗教は皆同じ「無形の 絶対なるもの」を祈っているからです。人類が祈っているのは、「皆同じ力の無形のもの」であると 私は感じています。宗教に二つの分け方があります。創造主を認め、唯一絶対の神の愛を説くものと、創造主を認めないもの、この二つです。しかし深い祈りに入っていくと、この区別は、時代と場所と民族の歴史の差であろうと感じられるのです。そして地球という有機的な生命体は、いまだに失ったものを取り戻すために努力し続けていると感じているのです。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>失った祈りでもあり、時代の新しい感性でもある、「それ」を表現するために、近代は造形・芸術という手段を人々はとってきています。それは人間の感性に直接働きかけるからだと思います。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>そこで私は上野の西洋美術館で三月八日から開かれていた「ウルビーノのヴィーナス」展について、感じたことを書かせて頂くことにしました。「ウルビーノのヴィーナス-古代からルネサンス、美の女神の系譜」というテーマでした。現代に女神の展覧会とは、なかなか「やるな」と思いながら、期待を持って入場したのでした。しかし期待したものとは全く別のものを学んで、展覧会を後にしました。確かにティツィアーノのこの作品は、世界の女性の美の原型になっていたのだと本当に確信してしまったのです。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>展示されたものは どれも大変すばらしかったのです。だから尚更はっきりとルネサンスに動いた「命の祈り」は、みごとに「グラビア・アイドル」となっていたことをこの展覧会から学びました。しかし勿論アントロポモルフィクな調和を否定している訳ではありませんし、マニエリスムであると主張している訳でもありません。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>現代女性の「美の原型」は、「生命の祈り」をギリシアの女神像に仮託したけれども、いつの間にか、ヴィーナスとして表現された「裸婦」だけが、現代の美の基準であるとの評価を受け、男性から賛美され、一人歩きしてしまったことを教えていました。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>ジョバンニ・ダ・サン・ジョバンニの作品の一点が、庶民の母の姿をしたヴィーナスが息子キューピットの髪に櫛をあてていました。母の側面が 描かれていたのは、この作品だけだったと思います。しかし母になる力そのものの表現は、どこにも無かったのです。ロダンの「裸婦」の表現のほうが、まだ現実の女性の「産む願望」とその力を現していると、考えます。しかし直接的である「性」が主張されるため「聖なるもの」の表現が表されにくいと感じています。この混迷した女性像の中で、現代女性は苦しんでいます。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>本当の自分とはどんな姿なのか、美しいとは何なのか、女性自身がわからなくなっているのです。どのように生きるべきか、そしてどのように「美しく」あるべきかが判らなくなっています。女性は肉体が産む力のためだけにこの空間に存在している現実を認知してはいません。総ての感性がそこから発していることも気づきません。男性の感性に合わせることによって、生き抜かなければならないからです。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>確かに産むための相手、そのための自由はヴィーナス像に仮託することで、現代与えられました。「パリスの審判のりんご」の話に象徴される寓話通りだと思います。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>しかし、産むことが総てである「女性」という肉体存在にとって、男性に裏切られることは、命を傷つけられるに等しく、また「自分の人生は一体何だったのか」と自己否定して泣く女性の何と多いことでしょうか。そして自分自身で自分を痛めてしまうのです。子を産んだ、産まなかったではありません。女性の感性の総てが産むという肉体として出来ているということを確認して生きてこなかったのです。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>女性には女性の祈りがあるのです。女性を受け入れた社会的空間と生き様があるのです。それが具現化されていないだけです。女性は人間として平等であり、能力も男性とはあまり変わりません。しかし 決定的に唯一つの違いがあります。産む力そのものを肉体としていることなのです。これは 唯一つの差であり、簡単でありますが、実は全てが男性と違うということを意味しています。女性には女性の感性と祈りがあります。総てを許す能力が女性にはあります。「裁き」とは違う「総ての許し」です。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>失われた祈りはその中から生まれてきます。密教の大悲胎蔵生曼荼羅に(胎蔵界曼荼羅)にその力が、描かれています。エロスではありません。泥沼から咲くはすの花のように、象徴的な存在分析とともに描かれているのです。</span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span>「大日経疏」第三巻の喩えにもありますし、勿論大日経を無視してお話している訳ではありません。</span></p> 蓮華通信六月号 http://www.shingonji.net/article.php/20080530002637518 http://www.shingonji.net/article.php/20080530002637518 Fri, 30 May 2008 00:26:37 +0900 蓮華通信 <p class="MsoNormal"><span>花の如く、雨の如く、光のさやけきが如く、漆黒の夜の暗きが如く、人生はかくある。無常の常たること、無我の我たること実に真理である。この身の儚こと泡沫の泡に同じく舟にて去り逝く、影の何物も留めず夢の夢たるが如し。眼を見開いてこの真実を観よ。何物にも執われてはならない。今この一瞬の中に善を求めよ。この一呼吸の内に真理を感ぜよ。多く求めなくとも君は人生の主人公である。その心を清く使え、言葉に真実を込めよ、行いを整えよ。そこに仏陀の教えはある。行いと業いの挟間に人生はある。因果の内に人生は展開する。よく自心を知れ。行い清きことを誇りとせよ、その中に仏の光は宿る。幾多の阿羅漢が菩薩が伝え来た大いなる道、君はそのただ中に居る。いかなる者も真実の価値ははかり知らぬ。唯仏陀の眼にのみ映る。君の存在、世界の存在の清らかさに目覚めよ。慈悲の心を持て世界はそれに答える。争い多き世に争いを鎮め、悲嘆多き人生に希望を与える。そのような人格であれ。</span></p> 6月予定 http://www.shingonji.net/article.php/20080530001312118 http://www.shingonji.net/article.php/20080530001312118 Fri, 30 May 2008 00:13:12 +0900 カレンダー <p><font>1日(日)人間学講座(熊本) <br />7日(土)人間学講座(熊本) <br />13日(金)人間学講座(東京) <br />14日(土)東京例会 13時半~ <br />15日(日)東京例会 13時半~&nbsp;<br />21日(土)御影供(お大師さん)10時半~ <br />23日(月)人間学講座(福岡) <br />25日(水)人間学講座(熊本) <br />27日(金)お不動さん   10時半~12時護摩供養 13時半~写仏  <br />28日(土)お不動さん   10時半~12時護摩供養 13時半~礼拝行・座禅 <br />29日(日)例会護摩供養 10時半~12時護摩供養 13時半~法句経 <br /><br /><br /><br /><br /></font></p> 蓮華通信五月号 http://www.shingonji.net/article.php/20080430211752249 http://www.shingonji.net/article.php/20080430211752249 Wed, 30 Apr 2008 21:17:52 +0900 蓮華通信 <p class="MsoNormal"><span>暁は紫雲より起りて黄金の光を放ち白銀の姿を見せる。春光は花を誘い小鳥のさえずりを呼ぶ。若竹は天に伸び時を告げる。命は巡り年を重ねる。人生は泡沫の夢の如く過ぎゆく、嗚呼誰かこの時を止めうるか。齢百歳天寿は終わる。一椀の飯と一椀の汁にて命を繋ぎ壱畳の畳に枕する。身の丈五尺五寸余に不思議なし。鼻に風のあるうちは生きている、生きて行かねばならぬ。心はあるかと問われれば、姿の定まらぬものなれど確かにこれにて生きている。なんとか言えと人が言う、声を出さずにすまされぬ。喜びも悲しみもやって来いとは言わないが、人知れずやってくる。人生の妙はここにあり。ままならぬ人の世で煩悩を捨てて生きて行く、執着を離れて生きて行く。無常の船で航海す、無我の帆を立てて彼岸に渡る。心清浄を生きて行く、尽きせぬ願を生きて行く、菩提心の輝きを生きて行く、身と心に障りなし人生に障りなし本来仏の命なりこれを信じて日を過す。口癖のように語り継ぐ貴方の命は仏である。</span></p> 5月予定 http://www.shingonji.net/article.php/20080430211222662 http://www.shingonji.net/article.php/20080430211222662 Wed, 30 Apr 2008 21:12:22 +0900 カレンダー <div>&nbsp; 3日(土)人間学講座(熊本)&nbsp;<br />&nbsp; 4日(日)人間学講座(熊本) </div><div>&nbsp; 9日(金)人間学講座(東京)<br />10日(土)東京例会 13時半~<br />11日(日)東京例会 13時半~ <br />12日(月)人間学講座(埼玉)<br />13日(火)人間学講座(京都)<br />15日(木)人間学講座(山口)<br />17日(土)人間学講座(熊本)</div><div>21日(水)御影供(お大師さん)10時半~ 護摩供養</div><div>24日(土)写仏 10時半~ 礼拝行 13時半~(観音堂)<br />25日(日)例会 10時半~護摩供養(観音堂) 13時半~法句経(観音堂)</div><div>26日(月)人間学講座(福岡)</div><div>27日(火)お不動さん 10時半~護摩供養<br />28日(水)お不動さん 10時半~護摩供養</div> 観音堂の駐車場ご案内 http://www.shingonji.net/article.php/20080429130929609 http://www.shingonji.net/article.php/20080429130929609 Tue, 29 Apr 2008 13:09:00 +0900 お知らせ <p>観音堂南側の高台にある駐車場(ひのきみ観音駐車場の看板があります)と観音堂の間にある空き地を駐車場としてご利用いただけるようになりました。お参りの際にご利用ください。</p> 蓮華通信四月号 http://www.shingonji.net/article.php/20080331225625639 http://www.shingonji.net/article.php/20080331225625639 Mon, 31 Mar 2008 22:56:25 +0900 蓮華通信 <p>命の華は麗しき、命の華は香しき、知らずと咲く花のさやけさよ。君が命の尊さは君も知らず、人も知らず。大いなる仏の御霊そのままに光り輝く命なる。垢も付かず汚れもせずただ真実を現わせる。如来の蔵より現われた君の命の働きは仏の智慧の滴なる。声のありかを求めれば唯不生の声がする。身業のありかを求めれば仏の威儀に帰するなり。心のありかを求めれば真空妙有の姿あり。仏の誓いと同じて生きて、仏の願いを成ずると誓い新たに生きていく、発菩提心となずくなり。いかなる闇も光りにて、深き迷いも明知にて共に消えてゆくがごとく。慈悲の明かりの射す処苦悩は、朝日に照らされし露のごとく瞬時に消えてしまうなり。</p><p>我は深く仏の慈悲を信じ仏の法を奉じて、一切の生きとし生けるものの安楽を祈り、日々慎ましく生きて、あらゆる物事に感謝の心を忘れず。己の身を律し、心を守って生きていく。願わくば如来の法座に侍り正法に遇わんことを。又人々の中に平安と喜びの充ち溢れんことを。</p> 4月予定 http://www.shingonji.net/article.php/20080331141702490 http://www.shingonji.net/article.php/20080331141702490 Mon, 31 Mar 2008 14:17:02 +0900 カレンダー &nbsp;<font> </font><font>5日(土)人間学講座(熊本)&nbsp;<br />&nbsp; 6日(日)人間学講座(熊本)&nbsp;<br />11日(金)人間学講座(東京)<br />12日(土)東京例会 13時半~<br />13日(日)東京例会 13時半~ <br />14日(月)人間学講座(埼玉)<br />15日(火)人間学講座(京都)<br />16日(水)人間学講座(山口)<br />19日(土)人間学講座(熊本)<br />21日(月)御影供(お大師さん)10時半~ 護摩供養<br />26日(土)写仏 10時半~ 礼拝行 13時半~(観音堂内)<br />27日(日)熊本例会(観音堂) 10時半~護摩供養 13時半~法句経<br />28日(月)お不動さん 10時半~護摩供養&nbsp; 人間学講座(福岡)</font> 京都駅にて http://www.shingonji.net/article.php/20080321220938105 http://www.shingonji.net/article.php/20080321220938105 Fri, 21 Mar 2008 22:09:38 +0900 光忍の一言 <p class="MsoNormal"><span><font>人はみな空間に生きています。空間をそれぞれに創ることは大切なことだと</font></span><span><font>思っています。そこで京都駅で感じたことを書いてみます。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>駅はその都市の顔だと思っています。</font></span><span><font>京都駅の建物については、否定的な意</font></span><span><font>見が以前からいろいろ言われてきています。確かにグロテスクで、未完成のようにたくさんの鉄骨が人目にさらされていて、ガラスが多用されており、その上中央には危険な階段と危なっかしいエスカレータまであります。しかも延々と&nbsp; 10階分の高さがあるのです。「もし一人のひとが上でつまずいたら」と考えればかなり恐い設計だと思います。しかも広い空間ではいかにも現代だといわんばかりにアルミパネルはぎらぎらと主張しているではありませんか。古都京都のイメージとは異質なものであるという議論ももっともでしょう。しかし私はこの駅のこのエスカレータが好きなのです。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p> <p class="MsoNormal"><span><font>1200年の長きに渡り京都のイメージは平面で整然と区画されていました。この閉鎖された平面のイメージ空間に高さという抜け道を、この新しい駅は演出しています。単なる高さではなく斜めに下まで見える道を作り、鉄骨を見せ付ける事によって、ここを完成させるのはここを通る人だと訴えています。しかも風は自由に四角い網の目を通り、格式と伝統で縛られた平面上で、貴方の存在は旅人として今自由であると語りかけます。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>一般的に平面の上では、「高い」ということは「崇高なるものである」と人々は価値づけています。仏都京都の駅を人工的に上に登って見ると、風は寺院よりも高く吹きます。では何を崇高と捉えて生きるのかを「高さ」の中で、捉え直さなければ自己を見失うことになります。向かい側の京都タワーとは意味が違うのです。京都タワーも高いのですが、タワーは蝋燭の形をしており、見物客はローソクの中なのです。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>しかもこの駅の上には眺めが良いレストラン街があります。だから寺院を見下ろすこの空間は食べている間に「今の行いだけが今を創りあげる鍵になるのだ」と無言のうちに教える空間になってしまっています。生きる意味を過去と未来の原点「今」―「食べる」に設定して、うまく空間を創りあげているからです。この空間は、食べることを一番大事なことだと教えます。まかりまちがえば「大変な美食家を育てることになるだろうに」といつも思います。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>しかし、この駅ビルは1200年の京都の平面上からはみ出した京都を象徴する空間を創りあげたからこそ観光都市として世界遺産として新しい文化を世界に発信できる可能性を象徴しているものになっています。</font></span><span><font>そのようなデザインだと私は結論付けているのです。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>話は変わりますが、密教の曼荼羅はもともと立体なのです。</font></span></p> ひろしま美術館に寄せて http://www.shingonji.net/article.php/2008031812410417 http://www.shingonji.net/article.php/2008031812410417 Tue, 18 Mar 2008 12:41:00 +0900 光忍の一言 <p class="MsoNormal"><span><font>春の匂いが、もうそこまで来ていますね。真言寺の庭の梅の花もすでにほころんで、「こんにちは」と言っているようです。</font></span></p><p class="MsoNormal"><font><span>先日所用で京都駅に降りた時、たまたま美術館「えき」</span><span lang="EN-US">KYOTO</span><span>の展示を目にしました。それは「ひろしま美術館」所蔵の作品展でした。</span></font></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>広島には何度か足を運び、供養をさせて頂いたことがあります。母の姉も被爆して、一度は命を取り留めておりますが、実家に帰ってから亡くなっております。原爆の悲惨さ悲しさをつぶさに感じます。そこで平和の願いと文化振興をめざした広島の人たちはどんな作品を集めたのだろうかと、ちょっと気になったので立ち寄ることにしたのです。広島美術館は『愛とやすらぎのために』をテーマにフランス印象派を中心に、ロマン派からエコール・ド・パリまでの絵画や彫刻、ヨーロッパ近代美術と明治以降の日本の油彩画が集められていました。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p> <span><font><p class="MsoNormal"><span><font>展示を見て驚きました。フランス近代美術の歴史を通覧できるというだけではありませんでした。そこに展示されていたのは、私の感じた問題意識とおなじものでした。平和を心から願い、平和への道を模索した人々の願いを端的に表していました。「よくまあ、ここまで一貫して、集めたものだ。」というのが私の実感でした。フランス本国で展示されていた印象派の絵画とは趣を異にしていました。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>人間の争いに対して</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>コローの美しい木々の銀灰色は自然が平和の根源なのだとうたっていました。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>モネの作品もシスレーの作品も 刻々と移り変わる時間が 総てを解決すると 主張していました。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>この曲がってしまった人間存在と時代は「円錐、円筒、球体」で捕らえなおせと、セザンヌが話しているようでした。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>主張することではなく「メランコリーが 人々を優しくするのよ」 とエコール・ド・パリの人たちが、語っていました。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>レオナール・フジタは三連の祭壇画の マリア像のそれぞれの衣装の中に、問題をうめこんでありました。一つの祭壇画であるのにマリアはそれぞれ別の服とマントを着ています。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>ゴッホの死の2週間前の作品「ドービニーの庭」もありました。穏やかな庭で、小さく女性が描かれています。閉鎖された空間で時は止まり、絶望の黒が死を暗示していました。ゴッホも問題に気づいていますが、遠くで描写されていました。二週間後に彼はピストル自殺します。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>圧巻はピカソでした。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>『手を組む女』と『胸出す女』の作品の前で思わず、「ほー」といってしまいました。よくこの絵二枚を収集したなあと感動すると同時に「ピカソも同じように時代を捉え女性を感じていた」と納得しました。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>宇宙の中の地球の人間によって創られた現代という時と空間は、この絵画に表現されている通りの葛藤をもっていると思います。時間空間の理解は理性を超え、人間の五官の認識を超えて広がり、曲がり、多次元の表現が必要とされています。縦横高さの空間外から、男性女性の空間を構成して性の内面・外面の矛盾すべてが描き出されています。そして同時にこの絵には希望も描かれていました。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>このピカソの絵を見たとき、広島の人々は、本当に平和のために懸命に努力をしてきたこと、そして同時に次の時代への「架け橋」を作ろうとしているのだということ、だからそのために、これらの絵画を収集し展示しようとしたのだということを感じ取ることができました。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>現代の問題の解決の糸口は女性です。女性のもつ独特の現実に対する構成力―産む力と感性ですーそれを大切にすることによって、平和と共存の鍵がうまれると思っています。それは祈りにも通じています。感性と理性そして祈りは同じ点で交差するのです。現代の女性の無意識の中に、真実の道が開かれ、東洋的なアルカイックスマイルのような静かな、祈りの本質が、総ての女性に開かれますよう祈念してやみません。</font></span></p><p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font>&nbsp;</font></span></p><p class="MsoNormal"><span><font>ああそれから話は変わりますが、私は祈るとき衣の下に二部白衣を着用いたしますが、作務衣は着用いたしません。ちょっと白衣は古くてぼろぼろですが・・・・・</font></span></p></font></span> 3月予定 http://www.shingonji.net/article.php/20080228181304136 http://www.shingonji.net/article.php/20080228181304136 Thu, 28 Feb 2008 18:13:04 +0900 カレンダー &nbsp; 1日(土)人間学講座(熊本)&nbsp;<br />&nbsp; 2日(日)人間学講座(熊本) <br />&nbsp; 7日(金)人間学講座(東京)<br />&nbsp; 8日(土)東京例会 13時半~<br />&nbsp; 9日(日)東京例会 13時半~ <br />10日(月)人間学講座(埼玉)<br />11日(火)人間学講座(京都)<br />12日(水)人間学講座(山口)<br />14日(金)人間学講座(熊本)<br />21日(金)御影供(お大師さん)10時半~ 護摩供養<br />22日(土)写仏 10時半~ 礼拝行 13時半~(観音堂内)<br />23日(日)熊本例会(観音堂) 10時半~護摩供養 13時半~法句経<br />24日(月)人間学講座(福岡)<br />27日(木)お不動さん 10時半~護摩供養<br />28日(金)お不動さん 10時半~護摩供養 蓮華通信三月号 http://www.shingonji.net/article.php/20080228180319368 http://www.shingonji.net/article.php/20080228180319368 Thu, 28 Feb 2008 18:03:00 +0900 蓮華通信 <p>苦しみは、無明を母として生まれる。運命は己の行いを父として起こる。此の世のものは不浄でも無く清らかでも無い。存在に意味を与えているのは己の認識である。人は囚われ多く迷いも多い、因果の道理を知れども、悪業を友とし悪念を衣としいて身にまとう。動機未だ清まらず、虚しく日々を暮らす。限りある命を悟らず、智慧の道を選ばず、五感の欲するままに食を食らい情を求む。この身の老いあることを悟らず享楽に身をやつす。口業盛んにして和合を破り、怒りにまかせて命あるものを傷つけ、省みること無しに言い訳に終始する。因果応報の理を深く洞察せよ。誰もこの道を逃れるものはいない。</p><p>禅定を修行せよ、静かなる場所を選んで、端坐せよ、悪のやむ道と善の起こる道を考えよ。誰一人君に代わる人生などない。自業自得そのものである。己の行いこそが己の寄る辺である。己の知恵こそが己の灯台である。修行の道こそ羅針盤である。黙して行え、密行とは菩提心である。善を念じてやまない心である。常に行い続けよ、如来の道、阿羅漢が行った悟りへの道を、君のその呼吸に真理は宿る。</p> 住職の行 http://www.shingonji.net/article.php/20080223150810815 http://www.shingonji.net/article.php/20080223150810815 Sat, 23 Feb 2008 15:08:00 +0900 お知らせ 住職の 八千枚護摩成満 <p>住職の 行が 成満いたしました。</p><p> 2月23日、七度目の 八千枚護摩行を 終えました。</p><p>自行ならびに回向の 護摩法は 黙々と 修法し続けて、一万座を </p><p>超えています。特に 八千枚護摩法は 断食にて 人との接触を避け 一心に</p><p> 拝み続けます。</p><p>電話は すべて留守番電話に なっておりました。 お急ぎの ご用件など </p><p>お待たせいたしました。</p><p>ご協力ありがとうございました。</p><p>&nbsp;</p> 2月予定 http://www.shingonji.net/article.php/2008012520010978 http://www.shingonji.net/article.php/2008012520010978 Fri, 25 Jan 2008 20:01:09 +0900 カレンダー <p>&nbsp; 2日(土)人間学講座(熊本)&nbsp;<br />&nbsp; 3日(日)人間学講座(熊本)&nbsp;<br />&nbsp; 8日(金)人間学講座(東京)<br />&nbsp; 9日(土)東京例会 13時半~<br />10日(日)東京例会 13時半~ <br />11日(月)人間学講座(埼玉)<br />12日(火)人間学講座(京都)<br />13日(水)人間学講座(山口)<br />24日(日)熊本例会 10時半~護摩供養 13時半~法句経<br />25日(月)人間学講座(福岡)<br />27日(水)お不動さん 10時半~護摩供養&nbsp; 人間学講座(熊本)</p><p>28日(木)お不動さん 10時半~護摩供養&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br /></p>